【毎日jp】空からの絵手紙 本社ヘリより 名張藤堂家邸跡 屋根が物語る歴史/三重

近鉄名張駅にほど近い高台に、名張藤堂家邸跡がある。日中は周囲の学校から児童のにぎやかな声が響き、夕暮れになると往時の静けさを取り戻す。屋敷内は武家の暮らしが色濃く残り、現在の日常と変遷を重ねた歴史に触れられる絶好の環境が備わっている。

名張藤堂家の歴史は、高虎の養子となった高吉が、名張市内に屋敷を構えた1636年に始まる。栄華を誇った大邸宅は1710年の名張大火で焼失。半世紀をかけて再建された邸宅の一部が今も残り、往時の繁栄を伝えている。

上空から見ると、屋根の形がいびつになっているのが目立つ。(写真はこちら)これは再建の際、増改築を繰り返したため、間取りが増えるごとに屋根が継ぎ足したため、間取りが増えるごとに屋根が継ぎ足されていった史実を物語る。完成時は1083畳の大豪邸で、藤堂家の屋敷図を見ると、途方もない広さだったことが想像できる。現在の建物総面積は276平方メートル。大部分が明治初期に取り壊されてしまったというから残念だ。

現存するのは、当主の寝室とされる「中奥」や茶室の「囲」、祝い事を行った「祝間」。県内では、唯一の上流武家屋敷であると同時に、当主の生活の場が残されているのは珍しく、文化財としての価値を高めている。

屋敷内には、豊臣秀吉の朱印状や藤堂家ゆかりの甲冑(かっちゅう)、刀など貴重な武具が展示されており、同家と歩んだ名張の歴史がひもとける。また、枯山水の庭園も見どころ十分で、樹齢100年以上のハクモクレンは春先に可憐(かれん)な白い花を咲かせる。

管理人の木村正さん(68)によると、名張城のあった高台を利用して屋敷が築かれたのだという。高層の建物がなかった江戸期に、大邸宅の主は、丘の上から名張のまちの安寧を願ったのであろう。

毎日jp記事より